老いのひとこと

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お隣の町会のとあるお方の玄関先に並ぶプランターのことです。
何時みても細やかな手入れが施され四季折々咲く草花は見るものの目を和ませるのです。
そのお方とは通りすがりに顔が合えば会釈を交わす程度の間柄でありました。
此の盛夏の頃も恐らく朝夕の水管理が行き届いていたのか何時みても色とりどりの花々で飾られ其処はちょいっとした花園そのもののようでした。
ところが9月に入って何時の日か定かではないのだがプランターの用土が乾いたままの日が続いたのです。
所用あって何処かへ外出されたのか、或いは旅にでも出られたのかなと思いつつも、ひょっとしてまさかの病に倒れ入院でもなされたのじゃなかろうかとあれやこれや思いを巡らす内に一週間以上が過ぎてプランターの植物は最早枯死寸前にまで干せ上がってしまったのです。
わたしは例の自転車で気には留めながらも横目で見遣って一端は通り過ぎたものの居た堪れず、突如として引き返しプランター一杯に水を注ぎいれたのでした。
幸いその家の脇に水道の蛇口とジョウロがあったので、これ幸いと一週間分の水やりを済ませたのでした。
もとより偽善家気取りのこのような行為は好かんことだ。
大嫌いだ。
辺り一帯に誰一人として人影がない事を確かめて事を進めたのでした。
とは言っても無人の他人の館にそっと忍び寄るのだから確かにいい気持ちはしなかつた。
次の日にそっと目を遣ればプランターの中はものの見事に活き返っていた。
やれやれと思った。