老いのひとこと

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恥ずかしきことながら又しても舟田さんのふんどしで相撲を取ってしまいました。
かましい限りです。
当方「半山君」の碑文解読に向けて天気予報で拓本日和をさがしている最中に氏より凡その概要を把握したとの一報をいただいたのです。
まさに舟田氏は千里眼の持ち主と云える。
不思議な霊感と云おうか偉大なる神通力の持ち主と云わざるを得ない。
わたしの目には岩石が風化し文字が剥落したかにしか見えないカ所に文字を読まれ給もうたのです。
さすが長年培われた眼力と云うしかない。
碑文の冒頭に「家大人半山」を解読し、結語に「嗣子津田近三謹書」を判読なされたのです。
これにて八九割方勝負が見えたことになる。
文面は“御父上「半山」で始まり、嗣子「近三」が謹んでこれを記した”で結んである。
「半山」と「近三」の父子関係が明確になり、「近三」は後室「治」の子であり正室「鉚」の子「近吾」とは兄弟関係にあることも明らかになった。
「半山君」の此の墓の出処がほぼ判明したことはわたしら遠縁の一族たちには画期的快挙を得たとことに他ならない。
処が正直、此のわたしにはしっくりしない新たなる疑問点が生じてしまったのです。
先ずは、嫡男「近吾」が存在するのに「近三」は何ゆえ嗣子を名乗り出たのか。
また、野田山にある父「清三郎」こと「半山」の霊を何ゆえ此処妙典寺に移し墓碑を建てるにいたったのか。
それも、「近吾」でなく何ゆえ「近三」がそれを為したのか。
更には、父「半山」の巌のような天然石の直ぐ真横に「近三」は自分の名で自分の墓を建てたのに比し嫡男である兄「近吾」のものはないのです。
この点も少々不自然にみえて仕様がない。
なお、この寺の敷地の別の一角に「近吾」は妻「操」とわが子らと共に昭和14年に新たに建てられた墓に葬られてはいるのです。
確かに、碑文は凡そ解明されたものの謎は謎を呼び一層混迷の度合いを大きくしてしまったのです。
何の根拠もない邪推に過ぎないが「近吾」と「近三」との人間的確執にすら思いが及ぶのだが此れは極めて怪しからん事に違いない。
あっ、そうでした。
もう一人謎の人物「伴四郎」の存在を忘れてはならないのでした。