剣道はすごいぞ≪6≫

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『剣道はすごいぞ』
   ―伝統と文化を大切にしてよりよい日本国をめざそうー
 
 
はじめに
 
更に付言すれば、剣道の徳目に謳う《省みて、やましからざれば一千万人と雖も我行かん》の武勇の心意気と、《義を見てなさざるは勇なきなり》の熱き正義の心を燃やして教育に当たらねばならぬのである。
少なくとも昭和五十年代までは明らかにこのような教育が健在だった。
この当時の教師にはいじめ加害の非を正すことを立派な職務であると理解する職業意識が極めて旺盛であった。
何処の学校においても正義感をたぎらせて蛮勇を奮って事に当たる教師の姿が見られたのである。
従って自殺にまで追いやるような執拗で陰湿ないじめは事前に阻止されたのです。
とりもなおさず当時の社会そのものが国民的コンセンサスを得て、このような教育を是認し許容していたのかも知れない。
確かに学校教育法第十一条には体罰を加えててはならないと書いてある。
但し、これは教師が子どもを懲戒するに当たって体罰はまかりならぬということなのである。
つまり、子どもの過去における過ちを懲らしめるための罰、すなわち懲戒として子どもを打ってはならぬのであって、唯今目の前で子どもがよからぬ行為に及んだとすれば遅疑逡巡することなく間髪を入れない電光石火の信賞必罰の罰が飛ばねばならないのである。
今現にこの場で弱い者いじめをしている、教師に反抗してきた、授業妨害に及んだ、喫煙中シンナー吸引中等々においては体罰やむなし、学校の管理運営上当然過ぎる教師の職務ではないでしょうか。
地域教育力を揺ぎ無いものにし、親も地域社会も心地よく学校に体罰の権限を託せるような世の中を作らねばならない。
その為にも教育の最終責任の所在を早く明確にしてほしいものだ。
この体罰と剣道とは一見無関係なようだが一たび教師が愛の鞭を振るうときは命懸けで身命を賭した真剣勝負に出なければならない。
一人の子どもの更生のため、捨て身の技を一世一代の名演技として演出せねばならぬのである。
考えてみれば、あの時代までの健全なる競争社会はもや今の時代には間違いなく消滅してしまったのである。
まったく異質な代物に変容してしまったことは先ほど述べた通りである。
異常なまでに過激な競争社会のもとでいじめ自殺、未履修問題等が起こってしまった。
これらは一見すれば相互に無関係なようであっても確かにリンクしあっているのである。
今の此の世を風靡しているこの異様な競争原理なる魔物を退治しない限り『美しい国、日本』と『品格ある日本人』を形成するは覚束ないことだと信じたいのである。
 
孫と共に歩み始めた剣の道をたどたどしくしかも弱弱しい足取りではあるが目下のところは歩み続けてはいる。
この剣道の本質と真の姿を孫と共に模索しながら解き明かすことに生き甲斐を見出しつつ僭越ながらこの世に寄与したい。
剣道はすごいぞ。
今より以上に剣道が隆盛すれば、おのずと私なりの『美しい国、日本』と『品格ある日本人』に近付いて行く事を信じて生きてゆきたいのである。
稚拙でしかも常道を逸脱したとても偏狭なる独断的見解であることは百も承知している。
このように子供染みたつたないものをよくぞ平気で書き留めたものと人様に嘲笑されても構わないのである。
敢えて世に問うてみたのである。