老いのひとこと

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今日は兼六園弓道場での土曜講座の日である。
 高校生らと共に正味二時間の講義を受講してきた。
 とにかく、遅刻なし私語なしでご立派と云うしかない。
 おそらく、受講に際し諸々の心得について事前指導を授けられているのだろう。
 それでも、さすがに板の間に正座の姿勢はきついので足だけは崩していたようだ。
 此処、本多の森には季節外れの藪蚊が時折出没するし突然大きなトンボが闖入したりするのだが彼らはたじろぎもせず平然と講義に集中するばはりなのです。
 伝統ある私学の風格と云うものなのでしょうか。
 見上げたものです、ほとほと感心するばかりでした。
  
 今日の主題は「射法八節」でテキスト代わりにレジメが宛がわれている。
 ところが、その文体が結構難解で弓道の本義を説く原典か原本から引用したようにもわたしには伺われたのです。
 「原書講読」ではないのだが、講師の先生は十分に噛み砕いて極力判り易く解説なされるのだがそれでも大変判り辛い高度な内容だったのです。
 潔く挙手し質問する誰かが居てもおかしくなかったのだが恐らく彼らの多くは大方理解できたのでしょうか静かに聞き入るばかりでした。
 
 遙か彼方より微かに金木犀の香りが秋風に乗って漂っている。
 学習するには打って付けの好条件下にも拘らず、わたしだけが目立たぬようにモジモジと結跏趺坐を試みたり半跏趺座になったり正座に戻ったり胡座をかいたりと終始落ち着きがなかった。
 言い訳がましいが、未だ以って右の脚が思い通りにならぬのが歯がゆい限りだったのです。
 それにしても本日の収穫は、弓手の小指で「目付節」を押して馬手の小指で弦を引くという何んとも高尚で次元の高い弓道の教義に今更のように驚かされた事なのです。