老いぼれ教師の回想記《124》

イメージ 1
 
 
その六  石垣の 陰に潜みし 将中や
青天の霹靂=その5
 
私の愛の鞭は功を奏した。
誰しも生育の途上には過ちを経験しよう。人なるが故に失敗もしよう。
戦後間もない小学生の頃私は宇都宮書店にて万引きをして店員に補導された前科者に違いがない。
その折私の父母も書店の一室に呼び出され厳重注意を受けた。
実は私の父も教師であった。事もあろうに私と同じ学校に勤めていた。
父の顔によくぞ泥を塗ったと私は気を失わんばかりに厳父の愛の鞭を経験した身なのである。
戦後間もなき頃であったので殊の外厳しかったことを思い出すのである。
その時も母は無言でただ慈悲の目から涙を流すだけであった。
親なら誰しもわが子への懲戒権は持っている。
しかし、そのような綺麗ごとを言うのではない。
親ならば自分の子供をまともな人間へ育て上げることは当たり前の務めなのだ。
そのためには少々手荒なことも承知で事に当たらねばならぬ時があるのである。
息子たちは私のような万引き行為はしていない。
シンナー吸引もなかった。
暴走行為もなかった。
対教師暴力も危害を与えるような軟派行為もなかったと聞いている。
それだけでも立派だ。
当時、妻は早起き会に入門した。
ひたすら仏に祈ったと言う。
家にはまだ仏壇すらなかったので南無阿弥陀仏と記された小さき紙片の前で線香だけが朝夕焚かれ続けたことを彼らもきっと憶えていることであろう。
息子たちの更生の道のりは決して一朝一夕には行かなかった。
でも紆余曲折はあったにしろ今は世に誇れる立派な息子たちに生まれ変わってくれているのである。
私の自慢の息子たちなのである。
この件の当事者も今や念願の人生の伴侶と共に愛の巣を営んでいる。