老いのひとこと

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夜なべしてせっせと「よしず」を編むのでは決してありません。
日なかに暇を見てそれも見よう見まねの手作業で取り掛かるのです。
知らぬ人が見たらさぞかし異様に映りますことでしょう。
奇人、変人の類いとしてとうとうあの人もやっぱしこんなお姿になられましたかと横目遣いで見られますことでしょう。
そう云えばあの人、玄関先で「剣玉」を子どものようなお顔で興じていられたではありませんか。
当のご本人はそんな事どこ吹く風と一向に気にせぬ顔で無心に取り掛かっていられるのです。
此の度は、枯れたセイタカアワダチソウという廃物同然の細長き無用の長物を有効活用し、更にはある意味有害植物の烙印押される厄介者を駆除し環境保全に寄与いたすのだとえらく張り切っていられるのです。
先だっての県大響緑祭にて学生さんから此の「よしず作成」のお知恵を授かったことがどうも切っ掛けらしいのです。
とは言っても、何はともあれ新規なことに好奇心抱き興味関心を寄せることは決して悪いことではない。
此のわたしにこのような新たな挑戦の機会を授けてくれたセイタカアワダチ君に有り難く感謝申さねばならない。
 
ふと戦前の大昔に我が家にてなけなしの掻き餅を手編みで編んで天井に吊るした微かな記憶を呼び戻し試みてみたのです。
藁スベの代わりに麻ヒモを用いて捩りながら手間暇をかけ丹念に編み上げてみました。
一見真っ直ぐに見えるセイタカ君も幾分反りや曲りがあって結構やり辛い。
不揃いな代物ではあるが何と言っても手作りの民芸品には違いなかろう。
竹刀の修理屋さんやよしずの請負業者さんが剣玉修行もやっている。
良いじゃありませんか。