老いのひとこと

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またしても訳のわからぬ話を仕出かすのです。
 わたしの父忠勝は昭和51年(1976年)が命日なので今年は39周忌になる。
 父忠勝は高橋家の戸籍謄本より除籍となって39年過ぎたことになる。
 除籍になってから80年経過すればその人物は日本国籍を剥奪され日本人で無くなって当然戸籍上からも抹消され名実ともに此の世から消え去ってしまうことになるらしい。
 処が、平成22年度に法務省の条例が改正され上記の80年が150年と期間が延長されたらしいのです。
 先日、市役所の戸籍課で確認を取ったので間違いはないはずだ。
 従いまして、わたしの親父さんは西暦2126年の年まで戸籍から抹消されることはないのである。
 それにしても111年後にはオヤジさんは完全に消滅するのです。
 余程の名を馳せた歴史上の人物でない限り例外なく消え失せるのです。
 儚く虚しいことには違いない。
 如何に取るに足らない愚鈍なる人物であれ此の世に生を給わって生き抜いたのであれば其の生の証しを記しとどめて置かなくはならないのではなかろうか。
 わたしはそのような変梃りんな衝動に駆られたのです。
 誰しもみな等しく故人となり除籍となり150年の経過と共に何もかも全てが消え失せて皆無に陥る定めなのです。
 わたしはそんな意味からも慾の皮の突っ張った嫌な奴なのです。
 わたしを含めた一連の一族の生き様をどんなに稚拙極まりない手段に訴えても記しとどめて置こうと日夜もがき続けているのです。
 虫食いや染みで傷み行く我が当家由緒書でさえ凡そ三百年間の年月に耐え抜いて辛うじて現存するではないか。
 謂うならば、その続編の編纂に相勤むる最中なのです。
 和紙に記すよりより簡便な方策が今わたしの目の前に現として横たわるのです。
 此れ今様の由緒書と心得て無い知恵を振り絞り日夜奮闘相務め居る次第なのです。