老いのひとこと

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弓道講座を終え昼食を摂り慌ただしくも陶芸講座の窯当番に駆け込んだ。
 それにしても有り難く結構なことではありませんか。
 自称「生甲斐講座」に身を置き顔をだし所詮は生半可におちょくる程度にしか為し得ないにしろ、それでもわたしに宛がわれた残余の時間の有効活用に精一杯没頭できるチャンスが此処にはあるのです。
 焦る必要はない。
ゆったりのんびり満喫いたせばそれでよい。
何れにしろ、好い加減な手抜き行為だけは戒めるようにおのれに言い聞かせ居るのです。
 年度初めの課題は輪積み法で一輪挿し花瓶制作が与えられました。
底の部分は膨らみを持たせだんだん口細に仕上げなさいとの指示を受けている。
わたしは咄嗟に中川一政画伯の画廊の片隅にみた「ひねり水差し」に思いが飛び乗った。
ずんぐりした水差しだが円筒形がいつの間にか四角ばった方形に変形している。
嫌味なくごく自然に流れるように目立たぬように変化を来たす。
さすが大芸術家の「観の目」は的確で鋭すぎるのです。
 
羨望と憧憬の眼差しでつくづくと眺め飽きることなくその前に佇んだことを思い出したのです。
水差しを一輪挿しには出来ぬし一輪挿しを水差しにも出来っこない。
わたしなりに摸写模造を試みるが様にならない嫌らしく田舎臭くてしかも鈍臭い。
又しても垂れ腹二重腹になって慌てて新聞紙を丸めて詰め込んでみるが益々いびつな醜態を曝け出すだけではないか。
欲張ってはいけません。
それで好いではありませんか。
これこそが分相応な作なのだから好いじゃないですか。
 
本日の素焼き燃焼温度は850度、3時30分過ぎにはデーターはクリアしたようでした。