老いのひとこと

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又してもたわ言をぬかし上がって嫌な奴なのです。
 
 大相撲春場所六日目遠藤関が白鵬に挑む好取組をラジオで聞いていた。
 人気絶頂の期待の星が天下の大横綱と対戦するとあって館内は割れんばかりの大歓声です。
 実況放送するアナウサーも解説者もまさに此の時とばかりに満を持して有りっ丈の声量を振り絞って捲くし立てがなり立てている。
 復興の兆し見える相撲人気の盛況ぶりが手に取るようだ。
 興奮の渦が頂点に達し仕切り時間いっぱいに立った両者をアナウサーは精一杯描写するが声が上ずり歓声に消されてよくは聞こえてはこない。
 暫し間をおいて横綱の勝ち名乗りが館内に響き渡ったのです。
 
 この一連の経過の中でわたしは或る一つのことに気付いていたのです。
 あれどうしたのかな、おかしいないつもと違うなと感じていたのです。
 その前相撲で栃煌山関が横綱鶴竜関を破る大金星劇が演じられていたにも拘わらず恒例の殊勲インタビューがなかったのです。
 二人のドル箱スターの前には金星劇とてその翳薄れ等閑に付されてしまったのでしょうか。
 確かにプロ力士たちによる顔見世興業かも知れぬが少なくとも大相撲は国技であり列記とした武道には違いがない。
 
裸相撲のドタバタショーでは絶対にない、だから其の為には報道する側にも礼儀とか礼節があり武道精神が脈々と流れていなければならないと思うのです。
 
 あの場面では、もう少し客観的で冷静な判断がほしかったなあ。
もう少しだけ、公平無私なる中庸の徳があってもよかったなあ。
 
つまり「インタービューは此の取り組みの後にします」とか
「関取には待機して頂いています」とか一言ことばを挟んでほしかったなあ。
わたしの聞き漏らしかも知れないが、インタビューに際し関取に「お待たせいたしました」の弁明の詫びがなかったような気がしてならないのです。
 
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