思いのままにわが意のままに手懐けることが適えられるのは最早此のわたしには粘土細工以外には考えられません。
そう思えば今日までのわたくしは随分勝手気ままに生きてきたものだと呆れたり驚いたり恥ずかしい感慨ひとしおなのです。
やれやれ、家内はもとより多くの人たちに迷惑を掛けてきたものだと反省しつつもふと仕掛中の壺のことを思い付いた。
曲りなりにも壺と名の付く器なら上蓋があっても可笑しくはない。
いやいや、どっちみち作るのなら是非蓋を被せてみようと思い立ったのです。
粘土細工の面白いのは何と云ってもその造形の悦びでしょう。
両の手の指先加減で自由気ままに手懐け操作していく。
円筒形の膨らみを少しづつ窄めながら四角張った方形へ捻りあげてみた。
少々大袈裟すぎるくらいに縁どりを添えてみました。
嵌まり込むように蓋を作りたかったが此れは至難の技なので口の上にかぶせる様にただ置くだけのものにいたしました。
ピンポン球ほどの粘土に親指の腹と人差し指中指の腹で摘まみ込むように凹形を作りしだいしだいに立方体へ近付けていった次第なのだ。
これがまた堪らなく面白い、神経をピリピリ尖らせながら慎重に手を動かすことが堪らなく愉快だ。
丸い球状が枡状の立方体に変形する、まるで手品師か魔法使いのようだ。
心ゆくまで得心しながら充実感を満喫したのです。