「敗者の条件」=其の10
九つ目の戒文は
【敗者は何一つ秀でたものを持たない】
秀でたものとは優れた特性でありその人が持つ長所とか得意技のことだろう。
敗者は何らの取り柄もないことになる。
それに引き替え、勝者は斯界のオーソリテイーであり実力ナンバーワンの地位は他の追随を許さない。
斯くなる独壇場の地位を確立できれば言うことはない。
熾烈を極める競争社会で互いに切磋琢磨し完璧を期して鎬を削るはなお良い事には違いない。
一つの頂点を目指し諸人挙りて気勢を上げるはこれまた大いに結構なことだろう。
しかし、片や一方には日の当たらぬ存在陽の目を未だ見ることすら敵わないより多数の敗者たちが無数に群がることになる。
我こそは勝者に相成らんと互いに鬩(せめ)ぎ合う姿は勝負の世界では当然すぎる現象でありましょう。
それ故に健全さとは裏腹に「嫉(そね)み」「僻(ひが)み」「いじけ」「憂(うれ)い」「いじめ」等々の負の側面がこの世に横行し潜行し始める。
敗者は競合に敗退し、其の上に何ら秀でた得意技も持たぬ取り柄のない存在であるならば本当に立つ瀬がないことになる。
其処で此のわたしは、敗者は決して敗者ではないのだと云いたいのです。
何ら秀でるものを持たぬ取り柄のないことが唯一その者の取り柄と相成る事だと信じたいのです。
剣道で学ぶのは剣術ではない。
自分自身を学ぶのである。
自分自身の弱い心を知って此の至らぬ心を一刀両断することが剣道で学ぶべき一番大切なことではないでしょうか。
我が身の至らぬところを克服しようと相務める姿が最高に尊いのではないでしょうか
故に何一つ秀でたものを持たなくても決して敗者ではない。
敗者は別のところにいる。