老いのひとこと

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此れはまさに弱音を吐き愚痴を独白したことになりはしまいか。


 此れはまさに「左進右退」と「起左座右」の世界の出来事にすぎません。


 つまり、弓を志した以上は左の足を先に前へ出して歩み後ろへ退くには右の足から下がることが要求されるのです。


 また、座るときには右足を退いて先ず右膝を床に付け後に着床した左の膝頭へ右の膝をスライドさせねばなりません。


 起ち上がるときには先ず左足を前にだし右の足を踏ん張って行うこととなる。


 弓道での所作は当然小笠原流礼法と神事に纏わる慣わしに関わる事でありましょう。


 片や、剣道と居合道では「左進右退」ではなく「右進左退」になり又「起左座右」ではなく「起右座左」と相成るわけなのです。


 つまりは、左腰に帯刀する都合上右の足より歩みだし退く際には左が先になり弓の流儀とは正反対である。


 坐するに際しては、左を退いて先に左膝が着床し右は後から付いてくる、起つに際しては右の足を出して立ち上がるので此れとて全く正反対の所作となりましょう。


 これ等夫々の武道が宿す古来からの流儀や仕来りは大いに尊重すべきは言を俟たぬ。


 この両者を理解した上でさらに武芸の面白味が味わえはしまいか。


 ただ正直のところ此のわたくしが今心底戸惑うことは弓の世界で要求される「起左座右」の取り分け左足半足前にして右親指の踏ん張りで一機に立ち上がる動作が全く敵わなくなってしまった悲哀と幻滅なのです。


 致命的な重大すぎる大欠陥なのです。


 弓を射る資格がないと云っても過言ではない。


 かと言って今此処に至って匙を投げだすわけにもゆくまい。


 念願の受審だけは石に噛り付いてでも果たさねばなるまい。


 今後の身の振り分けと善後策に気を回すのはその先で良いではないか。