老いのひとこと

イメージ 1



今年の土用の入りは7月20日らしいが既にここ二三日は猛暑日続きでもうとっくに土用稽古に突入している。


 鶴来での日曜会有志の集いは丁度夕凪時熱気との戦いまさに汗との戦いそのものでした。


 翌13日、防具着装こそないが弓にも暑中稽古在って然るべしと又々鶴来の道場へ出向いた。


 朝凪時ではあったが幸いいい風があたる。


 獅子吼颪の夏風が心地よく吹き込むではないか。


 時折烈風が舞い込み雨戸が軋むくらいだ。


 巻藁の後、的前に立つ。


 12発1中でありました。


 打席に12回立ってヒット1本でした。


 打率1割にも満たない有り様なのです。


 情けなく不甲斐なしと云わざるを得ないのだがわたしは何ら左程の落胆もしなかった。


 むしろ1発のみではあるが「正鵠」を射て大いに得心が行った。


 何本かはとんでもない方向へ乱れ飛んだが幾本かは中らずとも遠からずある意味的を得ていたのです。


 百発百中の神話の主、弓聖阿波研造は弟子オイゲン・ヘリゲルに的に中てようと執着してはいけません的を狙ってはいけませんとさんざん諭されたのだという。


 此のわたしとてこの金言をちゃっかり拝借し御題目に掲げ座右の銘と致し精々張り切り頑張らねばなりますまい。


  


 取懸を為し手の内を決め暫し沈思黙考、弓懐を確固不動のものに致しおもむろに目線を矢尻に注ぎ願を掛けそして物見を定るに至る仕草が実にいい。


御身と弓と矢が三位一体になって充実の一時が堪らなくいい。


的に中ろうが中らなかろうが一切関係がないのです。


 此れこそがわたくし流の精神統一への修行になるのです。