新幹線の旅≪10≫

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東慶寺は弘安8年(1285年)に執権北条時宗の夫人覺山志道尼というお方が駆け込み寺縁切り寺として女人救済のために創られたお寺であるという。


それ以来ずっと約600年間尼寺として在ったのだが江戸から明治期の廃仏毀釈により尼寺としての歴史に幕を閉じ現在は臨済宗円覚寺派の男僧寺として在るのだというのです。


家康の孫にあたる千姫は我が夫秀頼が側室に産ませた天秀尼を養女として迎えて此処東慶寺に匿ったのだと云う。


徳川の血を引くものが豊臣一族の命を此の東慶寺を介して救ったことになろう。


そのお方が此のお寺の20代目の住職であられ天秀尼像としてお祀りされているらしいが残念ながら観ることが敵いませんでした。


夫からの理不尽な仕打ちに耐えかねた奥方は此の寺に三年間身を置けば縁切りが適ったのだという。


勅許も得たという幕府が公認する訴訟解決の制度が此の寺にあったことになる。


 


家内は何か言いたげな顔をしていたが多分むかしのことを思い返していたのでしょう。


そう云えば、もうわたしらとて五十年間の長い間柄になってしまいましたよ。


 


併せて、此処東慶寺の離れには鈴木大拙ゆかりの「松ケ岡文庫」なるものがあるのです。


大拙先生が89歳の昭和34年の年にアメリカから帰国なされ95歳でお亡くなりになるまで此処「松が岡文庫」に籠もられ研究に没頭なされたという。


郷土が誇る偉大なる鈴木大拙先生の書斎を拝見したかったがやむなく割愛したのです。


 


とても印象に残ったのは岩壁にへばり付くように「岩たばこ」が群生していたことでしょう。


其れと境内のあちこちに世に咲く山野草やもろたの雑草類をいとも大切に培養なされていたことです。


客人が足を踏み入れないように柵で周りを囲う配慮が気に入ったのです。


自然を極限まで愛でる事はとてもこころ温まる風情ある光景に思えた。