自作のマイ骨甕をしげしげを通り越し更にまじまじと眺め回すにつれ何と理窟な作かと自画自賛したくなるのです。
自惚れは好かん、自慢話ほど人を喰った話はないので元々大嫌いなのだが敢えて矛盾を承知で逆に逆らってみた。
骨甕の蓋の部分に突起した把手がある。
粘土を捏ねながら此の把手を摘まみ出すように膨らませていったのです。
従って、此の部分をドベでくっ付けたのではない、蓋の本体の一部分として在るのです。
まさしく此れはわたしの自画像でありデスマスクそのものなのです。
鼻立ちが端正過ぎて似ても似つかぬ容貌なのだがでも何処となく雰囲気が似かよっているいるのです。
伏し目がちで悲しげにも映る。
でも、見るアングルによれば薄っすらと微笑みを湛えているようにも覗えるのです。
穏やかな表情で首を傾げ首を長くして此処に入るのを待ち構え観念しているようにすら見えるのです。
だから、自分では最高の傑作だと遂自画自賛したくなるのです。
でも、はっきり言えることは二度と再び同じ表情の同じ作品を作り上げることは不可能だという事です。
何故ならば、少なくともわたしの骨甕は一つあれば充分なので
これ以上は必要とはしないのです。
一世一代の代表作になりました。
何もかも土に帰るまで暫しの間此のわたしが此の世に生存した証しを今此処に残したことになる。