老いのひとこと

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ラジオ体操の会場を町内の城谷公園に替えることにした。


 夏休みに入り例年の慣わし通り「子ども会」が執り行うらしいのでこちらに参加することにした。


 それにしても、ご多分に洩れず少子高齢化の煽りで確かにお子様の数はまばらで何としてもさみしい。


 若きお父さんがお二人とお若きお母様がお二人がご近所のお子さんを引率され指導監督をなされていた。


 お目当てのカードにハンコを貰う行列も心なしかさびしい気がしてならない。


 高学年生がいない、取り分け中学生らしきリーダー格が一人もいないではないか。


 そりゃ部活動も受験勉強も大事に決まっている。


 だからと言って、我が町内の子ども会行事のメイーン行事を蔑ろにしてもよい理由にはならないはずだ。


 最低のいじわるな苦肉策だがラジオ体操出席カードを高校受験の出願条件にでも致せば如何なものだろうか。


道徳教育も大事だろうが小さな公徳心や公共心に気付かせるようにやさしき判り易く仕向けて戴きたく存じ上げます次第です。


 


併せて、子どもたちのラジオ体操を取り囲むようにお歳を召された、そりゃー有り余る高齢者の皆さま方もお一つご一緒になって体を動かしてみられたら如何なものでしょうか。


このような差し出がましいおせっかいは御法度なのでしょうか。


許されないことなのでしょうか。


目下のところお年寄りを代表されるお方はいらっしゃらない。


此れとてさみしい限りではありませんか。


 


嘗て、宇宙人らしきお方が全ての高齢者に居場所と出番を提供しようと共生社会を声高に叫んでいたのもつい昨日のように思えてならない。


何か次の一策はないのだろうか。