新幹線の旅≪13≫

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  1. 土産屋さんが軒を並べる小町通りの物凄い雑踏を潜り抜けて清閑な鎌倉駅についた。
    比べて見ても意味なきことだが我が金澤駅から見れば極めて清楚に映る。
    そういえば、世界遺産登録漏れと重なり何処となく淋しげであった。
    江ノ電にて長谷駅へ出向き長谷寺参拝と決め込んだ。
    奈良の長谷寺とは姉妹関係にあるのだという。
    天平8年736年の奈良時代に僧徳道が初瀬の山中で出逢った大木で二体の十一面観音像を彫られたのと云う。
    その一体を海に流すと15年後に三浦半島に漂着し、それを本尊としてお祀りしたのが此処鎌倉の長谷寺なのだというのです。
    そう云われれば信じるしかなかろう。
    押すな圧すなの大盛況で足の踏み場もない人並みに圧倒される。
    どうも御見掛けしたところ彼の十一面観音さまよりアジサイのお花の密に誘われて群がって來たのでしょうか。
    現に此のわたしらが違わずその類いで出発前には誰からもアジサイ寺を勧められたのです。
    行かなくちゃ損だ、見なくちゃ帰れないとみな異様な群集心理に踊らされてしまったようなのです。
    ゲート前には待ち時間表示板がでんと構える。
    何と一時間を厭わず文句も言わずに待ち続けるわたしにわが身自身情けなく憐れんだり諦めたり残念ながら観音様に癒されようという気には毛頭なれなかった。
    正直、しまった失敗だと気付いたが全てが遅かった。
    どうしようもなく、ぞろぞろとトコロテンのように押しつ押されつ急峻なる石段を歩まされた。
    こころで泣いても決して顔には出してはならぬ。
    他人様みな等しく心穏やかに花を愛でる余裕の御顔つきで擦れ違う。
    立派な御方ばかりだ。
    出来た御方ばかりだ。
    そうだ此のお寺の御利益なんだとそれとなく気付いた。