老いのひとこと

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弥生土器の野焼きのようすを再現するイベントが羽咋の「吉崎・次場 ( しば )遺跡」公園で執り行われた。
とても興味があったのだがその一部始終を見届けることは適いませんでした。
焼き上がった頃を見計らってその現場だけは見届けてきたのです。
教科書に出てくるような高床式倉庫や竪穴式住居に良く似た弥生式住居などが小奇麗に復元されていた。
その一角に炉跡があり残り火が煙っている。
学芸員の御方の説明によれば土器を炉の中央部に置きその周りを長さ1メートル強の原木をやぐら状に組んで更にその周囲を被いかぶせる様に稲わらを敷き詰めるらしい。
そして、その稲わらの上に粘土をかぶせる様に置き燃焼の速度を調整するとのお話しでした。
弥生人に成り切った子供たちは火きり棒と火きり板で火を起こし点火いたしたのだと云うのです。
「あぶり」と「本焼き」の工程があるらしいが10時に火を入れ14時にはもう焼き上がったとのことでした。
わたしは決して他流試合を挑んだわけではありません。
況してや、道場破りを企んだなんて飛んでもない。
わたしは素直に羽咋の歴史民俗資料館道場の胸を借りるつもりで参加を願い出たのです。
幸い年齢制限がなかったので此の齢で入門が許されたのです。
自作の弥生土器にお目に掛かり何よりほっとした。
粉々に砕けたり溶けてしまうことなくほぼ原形のままでてきたので胸を撫で下ろした。
所々未だ黒っぽく煤けた箇所が残っているが返って趣きがあって好いではないか。
思い通りに櫛目文様も鮮明に描き出されているし率直に平成時代の平成土器に「余は満足だ」と大声を出したい気になった。
しかし、本館に保管される実物の前に立てば2000年むかしの弥生人たちの力量は只者ではない。
実に驚くべき見事な均整美には只々舌を捲くばかりです。
焼成技術とて大したものではないか、土器作りの大先輩たちにひれ伏したい思いです。
御世話いただいた資料館の皆さん方にあつく感謝の意を表して帰路に付いた。
未だ残暑厳しいが車窓に吹き込む風からは初秋の匂いを嗅ぎとったのです。