烏滸がましい事ながら自信の作「蓋付き捻り水差し」が素焼きされてきた。
恐るおそる被せて見たがやはり蓋が合わなかった。
「合わぬ蓋あれば合う蓋あり」と云うけれど蓋はどこを捜しても此れ一つしかあろうはずがない。
「蓋の合わないカップル」には些か問題があるのだがお互いにお互いの出っ張りや角を引っ込めたり落としたり隠すように相努めればやがては二人の反りが合い元の鞘に戻るかもしれません。
暴れ馬とて熱心に調教し手懐ければ駿馬として馬が合うようになるかも知れません。
蓋が合うように労苦を共にしてお互いに切磋琢磨し合えれば「破れ鍋に綴じ蓋」の金言通りにハピーエンドに終わるのではないでしょうか。
サウンドペーパーで磨きナイフと彫刻刀で切り削り挙げ句の果てには家中血眼になって捜し廻りとうとうワイヤーブラシまで持ち出して切磋と琢磨に精を出したのです。
でも、水をこぼさぬ密閉とはいくはずもない。
演壇の上に置かれる冠水瓶ではないのだから蓋は締まらなくてもせめて「盃洗」用の器にでも代用できまいかと嘯 ( うそぶ )いてみる。
しかし、考えて見れば隠居の侘び住まい者が何を仰々しくも盃を洗って返盃する酒客も酒仙も誰も居ないのにチャンチャラ可笑しいですよ。
結局のところ、宝の持ち腐らかしが関の山なんですよ。