老いのひとこと

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中川一政美術館の壁に窪島誠一郎というお方が小松の公会堂でお話しを為される旨ポスターが貼ってあった。


どんなお話しかなと行ってみればやはり絵のお話しでした。


それにしても氏は絵かきさんではないという。


絵かきでないものが絵の話をするその切っ掛けとなったお話しから話は始まったが聞く者の心をギュッと掴んで離さない一種独特の絶妙なる話術に先ずはびっくりした。


生い立ちから極貧の生活の中、絵の世界とは無縁のものが偶々夭逝した天才画家「村山 ( かい ) ( た )」の画集に


遭遇し己が絵の世界にのめり込んで行く其の経緯をまるで講談師がその情景を語るように聴衆に訴えられた。


一見柔和な風貌ながら一度話が核心に触れれば悲壮感溢れる気持ち悪いほど鋭い鬼の眼光で聴衆に視線を送り直訴為されるのです。


実に凄かった、心が振るえ痺れたのです。


エピソードとして今次大戦最中上野動物園で子飼いの猛獣たちを毒殺する寸前にとある絵かきさんは外套のポケットの中で鉛筆を走らせてスケッチされたのだという。


面と向かってスケッチブックを掲げることはさすがいくら動物の前とは云え出来なかったのだという。


スケッチされる物の心をスケッチする者は己の心の中で確と捉え掴み取っていた何よりの証拠なのだというのです。


只単に其処に在るものを写し取るだけでは絵かきの顔をした似非 ( えせ )絵かきに過ぎないという。


氏は絵かきではないが心の絵を描く素晴らしき絵かきさんであることがよく判った。


今日は小松に来て本当に良かった。


 


後で知ることだが、窪島誠一郎さんは他ならぬ水上勉の長男であるという。


幼少時に故あって窪島家へ養子に出されたのだという。


講演の中では実父の話は一切一言も触れることはなかった。


お人柄なんでしょうか。