老いのひとこと

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無断掲載



最近とみに弓への関心が薄らいでしまった。


せっかく、七つ道具を調達し具備したにもかかわらず気力も意欲も遠ざかり弓を曳かないことがごく当たり前になってしまった。


自然な成り行き故成り行き任せにしておけばそれでいいじゃないか。


歯が抜けるように下駄の歯が擦り減るようにかつての姿が消え失せることは自然の摂理に適うことなのでしょう。


 


他人様のお姿を見ておのれを奮い立たせる。


でも、上を見て「上方比較」をするのはよくない。比較しても最早此のわたしには意味がないのです。


オツムの程度も才能とか能力にももう既に見切りをつけている、ジタバタしても始まらない。


かと言って、下を見る「下方比較」もよくない。


比較しても、最早此のわたしには左程の意味合いもないのです。


そんな安っぽい優越感を獲得したって何の意味があろう。


むしろ、彼の人たちと同じ次元に立って寄り添い何かを為さねばならない責務に駆られるのです。


先日、長期入院を強いられる友人を見舞った、娑婆を見直し娑婆の空気を思い知らせる手立てが何かなかろうか当人と共々編み出さねばならぬと痛く感じいるわたしが今此処にいるのです。


数日後、その友人から連絡が入って再度見舞って呉れる時には「大拙の書物」より美味い菓子を歓迎するので宜しく頼むと云って来たではないか。


大変面白いことを依頼されたので頼まれた以上は何かしら支援の手を差し伸べねばなりません。


さてさて、何に致すべきものか・・・