老いのひとこと

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奇跡の生還を遂げた事例は世にあまたありましょう。


紛れもなくわたしの孫もそうでした。


そして、それは只単に運がよかったでは済まされない何ものかがあった。


恐らくは、全て神の庇護により生命が見事に授かったのです。


 


駐車車両の後方の蔭より5歳の孫は路上に一歩踏み出した瞬間のできごとでした。


その走行車両は数十メートル先より右前方に車が停まり又左前方にはわたくしの家族が待機する姿は間違いなく見えたはずだ。


通常なら最徐行すべきところスウーと近付きスウーと通り過ぎようとした刹那の事故だった。


わたしは待機中の彼らには「車に注意しろ」のシグナルを送ったがNAOちゃんには目が届かなかった。


それを落度と云われれば返す言葉はわたしには無い。


わたしはアッヤッター!と絶叫したことは覚えている。


ブレーキ音はしたがブレーキ痕はなかった。


ただ、停車したのは間違いない。


カメラを持参しながら気が動転していたので加害車両の停車位置まで気が回らなかった。


ドライバーはブレーキと共に恐らくは左ハンドルを切った事だろう。


そのハンドル操作が、相当大きな衝撃音ではあったが身体に及ぼす物理的衝撃を軽微に済ませた最大の要因になったのだろうか。


素人判断だが中った瞬間に停まった、中るのと停まるのが同時であった。


その当該ドライバーは狼狽の色見せることなく至って沈着冷静に対応していた。


また、保険会社に連絡したり良心的に立ち振る舞って呉れたりもした。


 


孫達はいつもと変わらぬ様子で大阪へ帰っていったが暫し経過を観察し、然る後に此の一件を人身事故扱いにするや否やの最終判断をするのだと息子夫婦は語っていた。


柔軟性に富む幼児ゆえにわが命を守るべく本能的に柔軟に対応したのでありましょうか。


悪夢のような出来事ではあったが、眞實事もなくすべて解決することを願うばかりです。