老いのひとこと

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陶芸教室の修業年限二か年間が直ぐそこに近付いて来た。


修了があれば進級へと繫がる仕来たりは何処も変わりはない。


作陶への意欲と情熱がある限りその門戸は閉ざされることはないとのことなのです。


市の老人福祉センター鶴寿園からのご高配に与かり各自夫々更なる陶芸の道を究めることが適うらしいのです。


結構な事です、有り難いことです。


 


ところが、その進路先が二手に分かれているのです。


実に悩ましい事ながら丁度その岐路に立ち下駄を放り投げて決めるわけにも行かず大いに頭を抱え苦慮いたさざるを得ないのです。


陶芸クラブ「○○○」と「●●●」の何れに狙いを定め的を絞るべきかおのれの決断力が愈々試される時がやってきた。


一個人として主体性ある自立心が今まさに試される時が来たのです。


此の両者はいずれとも鶴寿園陶芸教室生のOBたちで構成されるサークルなので猶のこと判断に苦しむのです。


 


巷間漏れ聞くところによれば此の両者には発足時点よりある種の擦れ違いが生じているらしい。


でも、その経緯を詮索する気はわたしには余りない。


そのことを判断材料にしようとは思わない。


返って判断に苦しむことになろう。


作陶家を目指すわけではあるまいにのんびりと趣味の領域内で自由気ままに粘土と格闘してみたいだけなのである。


殊更、向上心を燃やし切磋琢磨するような歳でもございません。


のんびりと気ままに穏やかな心境で関与させて頂かれるのならばどちらでもよいのであります。