老いのひとこと

イメージ 1


イメージ 2




新聞を開くと「忍び寄る国家神道の足音」の見出しが目に入る。


初詣でで賑わう御宮さんの境内で憲法改正の署名を求める光景があったのだと報じている。


安倍総理もそれに呼応するかのように施政方針の演説の中で訴えられた。


 


素朴な庶民の願い家内安全とか学業成就とか商売繁盛とか安産祈願のために足を運ぶ吾らが誇る白山比咩神社や石浦神社に於いても同じように改憲署名のテントが果たして建てられていたや否やについては鈍感なるわたしには気付くことはなかった。


それにしても、不気味なる国になったものだ。


何んとも云えぬ嫌な匂いのする日本の国になってしまったものではないか。


自然への祈りが神への祈りでもあった素朴な信仰心が明治33年西暦1900年を機に明治政府は内務省に神社局を設置し「国家神道」なるものを世に送り出したのだというのです。


神格化された明治天皇に忠誠を誓う事を教育勅語を通じて叩き込まれ一億総国民が火の玉となって神国日本の建国を信じ切りどことん邁進して行った。


そのような戦前に復帰せんが為の前兆が今年の初詣での署名活動であったとすれば此れはやはり拙いことになりはしまいか。


 


新聞を読みながらもう一つ拙いことがわたしの脳裏を過ぎったのです。


実は、わたくしの母方ご先祖に斯波淳六郎なる人物がいた。


此の人物は津田音五郎こと津田正行の嫡男津田淳六郎に外ならず後に斯波家に養子に入ったは確たる事実なのです。


なかなかの秀才で東大法を出てベルリン大学に留学し内務省官僚として名を馳せ神社局局長まで上り詰めた男である。


局長在職は1915年7月2日より同年10月4日までとある。


異例と思しき僅か3か月である。


此のわたしにはその間の経緯を詮索する術は皆無なのだが願わくば此の男津田淳六郎氏は男の中の男として何らかの形で此の世を風靡する「国家神道」観に風穴を開け明確に異を唱え降格左遷され更迭人事を喰らったものと曲解でもいい善意に解釈いたしたいのです。


 


早速白山さんにて、日本国の安泰と淳六郎氏への感謝の意を唱えて来なくてはならない。