太田垣蓮月尼のことから富岡鉄斎を知った。
名前は聞いたことがあっても全然何も知らなかった。
宝塚に「鉄斎美術館」があることを聞いたので行ってみることにした。
参拝者が三々五々行き交うが決してそんなにも多くはない。
両脇には所狭しと数多くの土産物屋さんが軒を連ねる。
閉店したままのお店もあるがその多くは店員さんが手持ち無沙汰そうな表情で何となくうつろに映る。
平日の朝方だからだろうと要らぬ同情を寄せた。
そういえば山門を潜れば正面に本堂があり左手の奥に拝殿があった。
恐らくは年中行事の度には参拝者で参道を埋め尽くすであろうと察しがついた。
でも、解らぬなりに何かを肌で感じ取りたかったのです。
幼いころから物凄い勉強家で読書家であったという。
自分は儒学者を自任していたらしくあの独自の世界を樹立した絵画や書は単なる余興に過ぎないと謙遜したのだという。
古今東西の秀作を模写する「盗み絵」が原点であり師匠は一切なく全て独力で築き上げたというから驚きだ。
恐れ入りました、参りましたと畏敬の念が募るばかりです。
館内に入って一瞬感じたことは何故かしら「中川一政美術館」に居るような異様な錯覚に陥ったことです。
一成が生誕時には鉄斎は56歳、鉄斎が逝去時には一成は31歳でありました。
一成の中に鉄斎が生きていても不思議ではないと思った。