老いのひとこと

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太田垣蓮月尼のことから富岡鉄斎を知った。


名前は聞いたことがあっても全然何も知らなかった。


宝塚に「鉄斎美術館」があることを聞いたので行ってみることにした。


あの歌劇團の宝塚に色違いの「清荒神清澄寺( きよしこうじんせいちょうじ)」という真言宗系のお寺さんがあってその境内に「鉄斎美術館」があるのだという。


梅田から阪急宝塚線に乗って終点一駅手前の清荒神駅で下車し参道をしたたか歩いた。


参拝者が三々五々行き交うが決してそんなにも多くはない。


両脇には所狭しと数多くの土産物屋さんが軒を連ねる。


閉店したままのお店もあるがその多くは店員さんが手持ち無沙汰そうな表情で何となくうつろに映る。


平日の朝方だからだろうと要らぬ同情を寄せた。


急勾配の坂道を登りつめれば真言三宝宗大本山があった。


よく理解できなかったのだが此処は真言宗の寺院であると同時に清荒神を祭る神社でもある。


そういえば山門を潜れば正面に本堂があり左手の奥に拝殿があった。


恐らくは年中行事の度には参拝者で参道を埋め尽くすであろうと察しがついた。


実は此処へ来たお目当ては鉄斎の作品に触れてみたかったのだがわたしには偉大なる芸術家富岡鉄斎を理解する鑑識眼も咀嚼する学力も悲しいかな持ち合わせてはいない。


でも、解らぬなりに何かを肌で感じ取りたかったのです。


幼いころから物凄い勉強家で読書家であったという。


手当たり次第に難解なる儒学や漢学に仏典から国学心学などを読破したという。


自分は儒学者を自任していたらしくあの独自の世界を樹立した絵画や書は単なる余興に過ぎないと謙遜したのだという。


古今東西の秀作を模写する「盗み絵」が原点であり師匠は一切なく全て独力で築き上げたというから驚きだ。


恐れ入りました、参りましたと畏敬の念が募るばかりです。


此の文人画の大家、鉄斎への理解者であり協賛者でもあった此の清澄寺坂本光浄( さかもとこうじょう)住職さんの個人的なコレクションの品々を展示するのが此の美術館なのだという。


館内に入って一瞬感じたことは何故かしら「中川一政美術館」に居るような異様な錯覚に陥ったことです。


一成が生誕時には鉄斎は56歳、鉄斎が逝去時には一成は31歳でありました。


一成の中に鉄斎が生きていても不思議ではないと思った。