エデイ・マーサンというイギリスの俳優さんが演ずるジョン・メイ役の映画「おみおくりの作法」に感銘を受けました。
諸行無常、何事も永久にして不変なものはないのであります。
さすがに几帳面で用意周到なジョン・メイでも自分への作法までは気付かず手が回らなかった。
このことを反面教師として受け止めて先手を打たねばならぬことに気付かせて戴きました。
歳の順からして最早わたしは見送られる立場でしかないのであります。
従いまして、なるべく他人様の手を煩わせることなく極力簡便な様式で生き残った者たちからの「おみおくりの作法」を甘んじて受け入れさせて頂くには只今現にどうあるべきなのでしょうか。
答えは明快なり、先ずは身辺整理という斷捨離決行に手を付けねばなりません。
次いで、遺言書と遺書とエンデイングノートの三部作への取り掛かりだが既に素案はある、またエンデングノートは日々刻々と発信つづけているのです。
問題は「おみおくりの儀式」のことだがいよいよ本格的構想の練り上げに本腰を入れて取り組まねばなりません。
身内だけで済ますのだから自宅でよいのかなあ、でもやはり家内が大変だろうからご近所のお寺さんがよいかなあ、迷いますなあ。
さてさて、BGMの選曲も難しいなあ、何にしようかなあ。
あれにしようかなあ・・・
これにしようかなあ・・・
いや待てよ、家族葬ならBGMなんてとんでもない近所迷惑だし弔辞なんてそんな水臭いものは不要につき省略いたしましょう。
だいぶ肩の荷が軽くなりました。