老いのひとこと

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9月の野焼き実習には未だ早過ぎるが早々と制作準備に取り掛かることに致した。


予ねてからの念願でもあった火炎土器に挑むことにしました。


縄文人たちの土器づくりへの情熱や熱意に少しだけでもあやかってみようと試みるのだが余りにも高度な技法が要求されまさに手に負えそうもない。


燃え滾る炎の情熱は此れただものではない。


縄文人たちの異常と云える活力、爆発力、生命力のエネルギー源は一体何処から噴出したのでしょうか。


それも信濃川中流域から上流域に限られるというではないか。


時代も凡そ5300年前から4800年前の縄文時代の中期の中頃約500年間に限られその後は忽然と姿を消滅させたというからこれまた不思議千万と云えまいか。


嘗て、岡本太郎画伯は之に着目し大阪万博太陽の塔に体現させた。


また、次期東京五輪の聖火台に此の火炎土器が再現されるやに聞いている。


原日本人たちの生粋の純国産文化を全世界に誇らしげに発揚させたら大いに結構ではないか。


 


一口に火炎土器と云ってもあの普通に見慣れた複雑怪奇なデザインに埋め尽くされた作品を「火焔型土器」と称するのに対しもう一つやや簡略化された「王冠型土器」に種類分けされることを勉強しました。


一流の陶芸作家と云えども火焔型には梃子摺るはずだという。


況してや、胡散臭い好い加減な半人前は敬遠せざるを得まい。


お手上げしたまま引き下がるわけにはいかないので今回は略式王冠型にせざるを得なかった。


それにしても、悪戦苦闘の連続で数時間に及ぶ家内作業は先ずは右脚に痙攣を来たし痛める腰が完全に凝り固まって身動きできなくなってしまいました。


それにしても形振り構わず一心不乱に没頭できることを喜ばねばなりません。


汗を掻くことに意味があり意義もあるのであって成形物は二の次三の次だ。