『剣道はすごいぞ』
―伝統と文化を大切にしてよりよい日本国をめざそうー
人間形成のために剣の理法を修練して強くならなけれならない
つまり、剣の理法を修練した強き勝者こそが人間形成を為し得るという論理となる。 単純にとらえると人間形成を為し得るのは強き勝者のみであるとさえ言い切ることができるのです。
昨今のご時世は市場原理と名付けられた競争社会のメカニズムが経済や産業界のみならず教育の分野にも更にはスポーツの世界にはもちろんのこと、ありとあらゆる各界各層各分野にわたって、まさに大手を振ってまかり通っている。
この時代の趨勢に取り残されまいとみんなが躍起となっているのである。
いわゆる優勝劣敗の社会風潮が社会風土となり全てを席巻している。
結果として勝ち組と負け組みの格差社会を生み出し、このような社会構造を世の大衆は無条件で容認し是認しているのである。
もしや、このことに批判的な提言や違言を呈すれば敗者による僻みや妬みこころとして卑劣なるジェラシー論として片付けられ軽く一蹴されてしまうのが落ちなのである。
一国の宰相の弁が後ろ盾となり堂々とまかり通るのである。
勝者の論理に支配された諸人はこぞって勝者を称賛しながら追従し、自分もあやからんと遂にはこの勝ち馬の尻にまたがり敗者や弱者や劣者の類を馬上より見下し蔑視し侮るのである。
もちろん、あからさまに幅めいた立ち振る舞いは見られないにしろ潜在意識として無意識的な願望を体内に宿してはいまいか。
このような時代の潮流に逆らって迄してわが国古来の武士道精神の孤塁を守りきることが果たして可能だろうか。
過去におけて、都道府県対抗の全国大会が催された折に相手チームの面々の段位の低さに何を勘違いしたものか試合をボイコットしてしまうという前代未聞の珍事があった事実を伝え聞いた。
いまいましき醜聞といわざるを得ない。
剣の達人といわれ、称号を有する高段者こそは剣の理法を修練し得た人間形成を既に手中に修めた素晴らしき立派な御人たちではなかったのか。
これらの御人たちは自称する処の高段者にはあらずして然るべき権威ある関係筋より正式に認証された歴とした高段者に違いがない。
人間形成とは一体なんだったのだろう。人間形成を達成できた人たちとは一体どのような人たちなのだろうか。