『剣道はすごいぞ』
―伝統と文化を大切にしてよりよい日本国をめざそうー
昇段審査の在り方
剣の理法の修練の有無を体力と剣の技能のみで推し量ることにはいささか問題がありはしまいか。
況や人間形成の優劣まで査定するは越権行為に等しいと思う。
納得しがたいのである。
謂う所の三位一体の言葉通り、剣技を見る実技審査と相俟って日本剣道形で剣の理合いの習得の程度と剣理の咀嚼の程度のこの三者を同等のウエイトで両々相見て総合的に判断すべきではなかろうか。
つまり、形と理論審査は惰性的に付け足しされた形式的な見せ掛けだけの消化審査のように思えてならないのである。
然もなくば、一次審査は理論、二次審査で形、実技は最終審査にすれば随分改善の余地があるように思えるが如何なものであろうか。
その理由付けは、蹲踞の姿勢や素振りだけで、観るべき人の目にはその人の修練の度合いは一目瞭然だろうし実力の程度を見事看破できることだろう。
また、肉を切らせて骨を切った、もしくは骨を切らせて髄を切ったような微妙な判定に於いても厳正なる中庸を守りきることが可能だろうか。
知る限りにおいては、おおむね先に取った方が極めて有利なのである。
時間的な制約とか金銭的な負担とか物理的な障害を口実にするは単なる言い逃れに過ぎず納得できない。
千人を越える八段受審者に真摯に対応すべきだ。
言うまでもなく、おびただしい数のすべての剣道愛好者に対し再考を促したい。
国際的見地も加味した大所高所から抜本的なる裁断が下りることに期待したいのである。
日本古来の武士道精神に根ざした真の剣道の何たるかを全世界に発信しアピールしなくてはならない。
その絶好のチャンス到来だと認識すべきであり、今様の改革路線に乗って抜本的変革の旗手が突如輩出せんことを切望する次第だ。
つまり、剣道を修行すればすべからく全員が見事人間形成を達成できるという本来の剣道の姿へ改めなければなるまい。
他のスポーツにはない剣道だけの独自性とアイデンテイテイを一日も早く確立させねばならないと思うのである。
そうすれば「美しい國、日本」は間違いなく実現すると確信いたしたいのです。