老いの回想記≪132≫

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その七 いばらとて 花芽つきしや 高尾台


 


 親として子のために推薦状を依頼し嘆願ししかも懇願しつづけた。


それは無理を承知で敵うはずもない徒事に過ぎなかった。


誰からも一顧だにされなかった。


わたしに為し得ることは日ごと書簡を送り安否を気遣い激励するしか手はなかった。


 


 


 


国鉄民営化も裕次郎逝去も眼中になし


 


 飽きることなくわたしはパソコンの前に座り、か細き身なりのか弱きわが愛する愚息へ身を挺してキーボードを打ち込んだ。


息子へ向けられた得体知れない敵の矢をわたしは体を張って胸板で受け止め防禦しなければならなかった。


 わたしは何かに取り憑かれたように執念深く執拗に父性本能を駆り立てながら綴り続けた。


六月十四日は市祭の当日で当時は市内の小中学校は祭日休業日であった。


当然、高校は平常通りの日ではあったが、わたしの十五の年を数える愚息はごく限られた数人の身内の者たちだけに見送られ、この六月十四日の日に駅頭より雷鳥の人となった。


大阪への一人旅であった。


 車中での彼の胸の中をおもんぱかるとわたしの胸は引き千切られた。


引き千切らんとする邪悪なる神の手を再び呪い怨んで撥ねのけた。


この悲痛なる共々の想いでわたしら父子の絆は固く結びついた。


結び付けねばならぬと強固なる決意を天に誓った。


 


 


私の脳裏をかすめる一人の人物が声高に叫ぶ“自業自得ではないか。


お前さんは今まで何をしてきたというのか。


今更恨み言を言っても始まらない、人が笑うだけではないか。


自己責任という言葉を噛み締めなさいよ。


わあはあはあ。


私には何一つとして返す言葉がなかった。


しかし、その言葉をしっかりわが地獄耳にて聴き止めわが心のメモレムダムに明確に記入した。


血判状にしてしたためた。


正に臥薪嘗胆、われらを見縊りし面々を必ずや見返えす日の到来をこの手で成就せんことを愚息のまなこに誓った。


 ワープロソフト『春望』に全てを託すこととした。


冬来たりなば春遠からじ。


やがて巡り来る春の到来に《望み》を託して、私は来る日も来る日も連綿と連日連夜キーボードを打ち連ねた。