老いのひとこと

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そもそもの動機は我が家には「先祖由緒一類附帳」なる古文書が在るがまるっきし読めない。

日本人でありながら日本の文字が読めない不甲斐なさを何としても克服したいものだと兼ねがね乞い願うのです。

今年で三年目になるが何年学習してみても進歩がない。

依然として読めない、一向に読むことが敵わない。

それで今年は敢えて最も初歩的段階に位置する入門講座の門を叩くことにした。

幼稚園的レベルを先ずはものに出来ぬかと自らを説得申したわけだ。

ところが豈図らんや期待は外れ失望のどん底へ打ちのめされた。

去年の如き便覧小冊子は無し、学習意欲を阻害するに等しい在り来たりの崩し字解説を初っ端から耳にし正直力が抜けていった。

主催者が想定するカリキュラムを兎に角消化させるべく事務的機械的にがむしゃらに講義はツっ走る。

確かにコロナの関係で講座回数も講義時間も短縮されるので猶の事回転軸を急ピッチで廻さねばなるまい。

でも講座が入門編・初級編・中級編と段階を踏むのであればまさに正真正銘の初心者に手ほどきを与えるよう格別の配慮が欲しかったなあ。

でなければ入門編に入門した意味をなさないではありませんか。

 

学習は与えられるものではない、自ら求めて学び取るものである。

キミは一体何を言ってるのかね。