老いのひとこと

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此の度は知友ふなだ氏よりとても珍しく変わった箇所に案内された。

能美市の辰口地内にある「灯台笹」と云う集落へ向かった。

「とだしろ」と読み下すらしい。

こんな内陸部に灯台はなかろうかと尋ねれば何時かは判りかねるが其の昔に此の集落の近くの山頂に地蔵堂が在って其処で常夜灯が焚かれ此の一帯の笹原を照らしつづけた事が地名の由来らしい。

つまりは茫洋と広まる不毛の篠原(ささはら)に新田開発の槌音が鳴り響いたのであろう

幸いわたしが所蔵する角川の地名大辞典で確認いたせば此の一帯は加賀藩領で戸数が36戸の記録があり当時には「灯台笹の渡し」が藩船2艘で運用され能美郡の物資が石川郡領へ物流されたという。

皇国地誌の文献によれば鯈(ハヤ)500尾、条石(橄欖石カンラン石か?)560才(?)が城下へ搬入されたとのことです。

なぜ岩魚とか鮎ではなく雑魚に過ぎぬ鯈を記載したのだろうか不思議でならない。

恐らく殿様がたは鯈を好んだに違いない。

此の渡しの船頭さんも地蔵堂の篝火を頼りに櫓を漕いだのであろう。

 

色々難しいことを勉強させていただきふなだ氏には感謝いたさねばならない。

なお此の灯台笹には旧石器時代晩期の遺跡があり打製石器としてナイフ型石器他多数が昭和37年に発掘されている。

さすがに発掘の現場まで赴くには参らず遺恨を残すことと相成った、でも此の急峻なる山道では如何ともし難い。