老いのひとこと

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宮腰の魚の口銭に関わる御定書( おさだめがき)を評定した五人の人物の中に今枝民部と前田七郎兵衞にびっくり仰天した。


此の今枝民部は今枝家のご当主今枝近義であり14000石を拝する家老職を務める重臣であって其の地位は実父今枝直恒( なおつね)より引き継いでいる。


前田七郎兵衞なる人物は実は本名を今枝直玄( なおはる)を名乗り他でもない近義の実弟になる。


直恒の三男と四男が名を連ねて此処に登場したことになる。


直玄は藩主利常の命を受けて利家公の側室の子お福の戒名高源院の下へ養子に入ったので前田の姓を名乗ることになる。


前田七郎兵衞は人持ち組にこそ属することはなかったが小松城代、御用人、大横目、公事場奉行にまで上り詰めている。


寛文9年1669年に53歳で世を去った。


なお、5歳違いの兄近義は延宝6年1678年に66歳で没している。


此の御定書の日付けが寛文2年1662年なので加賀藩家老今枝民部近義は御年50歳で弟前田七郎兵衞直玄は45歳の若さになる。


直玄は恐らく藩の御用人を務めていたのでしょうか兄近義を補佐し事務的手続きや連絡掛り折衝役で兄を助けたのでありましょう。


 


 


問題は斯くも無味乾燥な猫も近付かない犬も食わない下らぬことに執着いたすのかと云う事だが実は此処には秘めたる重大なる私事が隠されているのです。