老いのひとこと

「べにはるか」は死んだのか、イヤまだ死んではいない瀕死の状態なのだろう。

三日も経つのにぐったり横たわったまま息も絶え絶えだ。

老舗松下種苗店の品ゆえ好い加減な粗悪品はなかろうと信頼を寄せるばかりだ。

苗をば原産地茨城県より仕入れた所為でくたばったのかも知れない。

雨雲が近付くという、もう少し様子を覗うことと相致そう。

干し芋にもなる麦芽糖一杯のそれは甘いお芋さんなのだという。

糖度の高い美味い芋らしいがわたしが少年時代に植え付けられた薩摩芋のイメージは決してそうではなかった。

全く真逆の印象を彷彿とさせられる「農林5号」のあのデッカイ図体と砂を噛むような拙い味を思い起こす。

其れでもあの戦時中、親爺が引くリアカーと共に二俣の里まで炎天下によくぞ歩けたものだ。

鉄二が他界し当時の苦い思い出を語り合う事も敵わない。

軍払い下げのおぼろ昆布の塊りが浮かぶ芋粥を啜り合った夕餉、お袋の優し気な姿と重なり合って今以って忘れ難い。

 

恥ずかしながら後日知り得たことだがあの当時の芋は食用というよりは軍需産業としてガソリンに添加する無水アルコール製造の為に品種改良されたデカ芋であったらしいのだ。

ガソリンが枯渇するなか戦闘継続の使命を帯びて航空燃料用のイモアルコールが重宝されたのだという。

 

どうか甘くて旨い今年の「べにはるか」10本の作柄が良好でありますように願い居るが今年はどうも願いは叶いそうにない。