老いのひとこと

三人の愚息の内長男と三男は血液型はわたしと同じA型でどちらかと言えば控え目でおとなしく真面目である。

次男は家内に似てB型人間として育ったがどちらと言えば並外れたラクマツだった。

ヨチヨチ歩きを覚えた頃余り外へ連れ出さなかった所為か家の中では傍若無人に暴れ回ったものだ。

障子紙は貼った尻から破る捲り遂には其の障子の桟を攀じ登り圧し折る始末でまったく手に負えなかった。

でもへらへら笑って憎めぬヤツだった。

小学校では授業中に教室を走り回り迷惑千万なりと先生は掃除用具と一緒に棚の中に閉じ込めたという。

その内、入れられる先に棚に身を潜めた彼は或る時その棚の中で眠りこけるという武勇伝も聞いた。

退学話にまではならなかったが枠からのはみ出し行為の連発で此の問題児を抱えた担任の先生も大変であったであろう。

あの当時に若しや県下にフリースクールが存在いたせば其処で以って自由奔放なる彼の才能を引き出す教育が適ったと致せば別人格の人間に大成していたかもと、遂々「ともえ学園」のトットちゃんと重ね合わせてしまう親バカなのだ。

 

親子5人が車の中で笑いながら行き先不明の家族旅行に出掛けるチャンスはもう来ない、往時を思い出しながらただ懐かしむ。

何んと云ってもみんながガキと呼ばれる頃が華だってなあ。