老いのひとこと

石踏み公園への日参が日課となったと云うより楽しみになった。

燦燦と降りそそぐ秋の陽のもと芝生の上に寝転がってみたい衝動に駆られたりもする。

群れをなす程ではないしろ赤トンボが秋空を心ゆくまで堪能している

先日のこと遊具の前で戯れる親子連れのカップルを少し離れたベンチより観察した。

 

パパさんは額が薄い若くはない年恰好ママさんも中年の域を出た感じで決して若くはなさそう。

晩年に授かった子宝なんだろう、可愛くて仕様がないそんな雰囲気がいやでも漂ってくる。

スチールのパイプを登ろうと懸命だ、上手に登れば付き添う二人は手を敲いて祝福する。

其の痛々しいほど美しき愛情表現にこころがジーンとする。

得意になって遊びに夢中の姿が何といじらしいことか。

暫し、こころ行くまで此の微笑ましい光景に見惚れました。

 

 

片や一方、同じ歳格好の園児たちが手押し車に閉じ込まれまるで囚人のように無表情な顏で通り過ぎるのを見るに付け此の両者の余りにも大きな乖離にこころが傷む。

何故、此の広い芝生の上で自由に遊ばせようとはしないのか。

伸び伸びとした心情を育てようとの育児方針の改善にどうして気付かなのだろうか。

そんな思いが募った一日でもあった。