老いのひとこと

ラジオ体操に馳せ参んずる同好の士、足腰くたばり目尻には皺多けれど気だけは未だ青春そのものだ。

森先生を送らんと21名の男女が参集し昼餉を共にしながらラジオ体操談議に花が咲く。

確かに花が咲き誇る雰囲気こそあれど悲しいかな聴力喪失するものにはつんぼ桟敷に置かれるも同然、人生の悲哀をまざまざと味わされたのだ。

 

先生は盃を交わしながら個個人に話しかける、年齢を問われ88と応えれば驚きの形相でそれは実に希有なる存在だとわたしを絶賛する。

最早ここに至れば天人のように気の赴くまま好み通りに生きたら好かろうとおっしゃる、好きなものを食べ自由気儘に余生を送るべしと激励の言葉を頂戴した。

其のお返しの意味を込めて僭越ながら今日の好天に因んで光太郎の「秋の祈り」を吟じた、また序でに「若者よ」を独唱する機会を戴き此れは大変好かった。

 

 

 

体操会場の公園での森先生との出会いは今となれば貴重な思い出、先生はちょいちょいゴミ拾いがてらわたしが陣取る藤棚に立ち寄られスチール製の頑強な支柱にぶら下がりわたしに懸垂を披露為された。

いとも容易く十回ほど試され彼方もやって見なさいと要領とコツを伝授された。

わたしはいつもぶら下がるのが精一杯で音を上げたものでした。

或る時、顔面に触ると焼け付くようにひりひりする、先生に直談すれば即座に「ヘルペス」と診断され当時ブイテンにあった先生のクリニックで緊急治療を受診したことは忘れ得ぬ思い出になる。

 

公園の一角に映るいつもの先生のお姿が明日からは消え失せることはやはり何んと云っても寂しく、虚しさのみが込み上げる。

 

翌日は雨の日でした。