老いのひとこと

嘗ては公園敷地内の藤棚の一角に蜘蛛の巣を張ってテリトリーとした。

別に獲物が掛かるのを待っていたわけではないが小学一年生の颯人君が出席カードを首にしてよく遊びに来たものだ。

春浅い桜が蕾の頃から夏休みが過ぎ去り桜の枯れ葉が木枯らしに舞う時節まで首にはカードがぶら下がる。

颯人君はとても利発だが至って寡黙な子だった、木登りが大好きでよく藤棚の蔓に攀じ登り独り悦に入る。

また女郎蜘蛛の幼虫を手の平に載せ何かしら会話を交わし東京ミミズと楽しそうにじゃれ合う姿が何ともいじらしかった。

彼との交遊も彼が小学二年生の晩秋の頃までであった。

 

此の藤棚には嘗て金大で文化人類学の教鞭を執られた嶋田進先生がよく立ち寄ってくださった。

そして貴重なる往年の研究論文の一端をレジメにしてわたしに手渡してくださった。

極々短時間の集中講義をわたしは承ったものだ、14編のレジメはまさに文化人類学のテキストそのもの今以って大切に保管する。

ただ心残りが一つ、先生から授かった江戸末期の素敵な女流歌人の名を失念してしまったのだ、此れがいやはや情けなや残念至極。

 

 

一目ぼれしぞっこん惚れ込んだにもかかわらず八か年の歳月が太田垣蓮月の名を洗い流してしまっていた、実に薄情にして不甲斐なき奴が居たものだ、恥ずかしい。

当時は畏れ多くして実名用いず山鳥さんと称したことお詫び申さねばならない。

 

 

2016-05-12

 

 

自慢にもならない連休中のバイクにまつわる武勇伝を世間話のネタにしていたら例の体操仲間の山鳥さんがとても素晴らしいことを教えてくださった。

 

ハッと気付かされ、目からウロコが落ちる思いにさせられた。

 

幕末の歌人太田垣蓮月が詠んだ歌を引き合いにして

 

「宿貸さぬ 人の辛さを 情けにて おぼろ月夜の

 

花の下伏し」

を即座に提示され諭してくださったのです。

 

さすが年季の入った教養人で居られるものだ、感心の垂れっ放しでした。

 

「一夜の宿を願いでたがつれなくも断われてしまった。

 

それもそのお方の気持ちとして素直に受け入れねばなりません。

 

でも貴方につれなくも断わられたばかりに朧月夜の桜の木の下でこんなに素晴らしい花を愛でながら野宿することが叶いました。

 

これ程結構なことはありません、ありがたいことなのです。」

 

嫌な事とか逆境をもこころ大らかに受け入れる寛容の精神の大切さを教えていただいたことになる。