老いのひとこと

先日のお送りする会の際に、隣席の村田さんから安田さんご逝去の報に接しおのれの落ち度を悔いた。

新聞では何よりもお悔やみ欄に目をやる筈にも拘らず全く気付かずにいた其の散漫さを嘆けざるを得ない。

 

しばしの一時ではあったが安田のやっさんからは格別のご好誼を戴いて居りながらお見舞いは元より葬儀の顔出しすら怠ったことは甚だ面目がないことになる。

 

鳥越村の「にわか工房」にて幾度か美味いお蕎麦を振る舞われたし三ツ屋野に鎮座する八幡社の恐るべき神宿る巨岩を見せて戴いた。

山地主のやっさんは高尾の山中に鶏小屋を造営し其の横手の丘陵を地均しし蕎麦園を展開するとの遠大なる夢の持主でもあった、儚くも其の山中に手打ちそば処の開店を待たずして他界された。

さぞかし心残りで在られたであろう、お悔やみ申し上げねばならない。

 

 

翌日には些少の金額を包んで御仏檀に手を合わせに参った。

取り次いだ奥様より命日が9月と聞いて驚いた、49日法要も済みお骨が帰ってきましたと報告を受けたのです。

やっさん、安らかにお眠りください。

是非天国にて開店されし蕎麦処にて又お逢いいたしましょう。