老いのひとこと

蓮月さんが抹茶を嗜んだかどうかはわたしは知らないが手掛けた陶芸に抜きん出た才能を発揮したのだという。素朴な秀作を数多く世に出し「蓮月焼」として随分と持て囃されたのだと言う。

 

余は、此の際に蓮月さんに因んで抹茶碗モドキのお碗を作り、其処に代表作「宿貸さぬ 人の辛さを 情けにて 朧月夜の 花の下伏し」を拝借し刻み込ませて戴きました。

 

「蓮月の名を借りて 凡作を秀作に見せ掛ける 其の浅ましきかな」

 

聞くところによれば蓮月は五人の我が子二人の夫に義父にも先立たたれ苦難の人生を生き抜いた薄幸の見目麗しき歌人であられたという。

和歌のみならず陶芸、舞いや裁縫に学問、薙刀にまで長じた才能の持ち主であられたという。

のみならず貧民に愛の手を差し伸べ橋を架ける慈善事業にまで手を染め,南州公に書を致し江戸城無血開城に寄与した逸話の持主でもあるという。

余りにも美貌だったので衆目を避け何度も何度も転居を繰り返し、挙句の果てには美しい容姿を隠すため敢えて抜歯し醜さを装ったというらしい。

 

蓮月は秀でた人物で在られた、善き人物に遭遇出来て余は此の上なく幸せ者なのだ。

 

其の太田垣蓮月に接する機会を与え給うた嶋田進先生に今改めて感謝申さねばならない。