老いのひとこと

      寄り添うように伊藤家の墓が

一回り以上年下ながらもわたしには掛買いのない朋友になる。

其の舟田敏さんと久し振りにジョイフルにて歓談した。

此の彼とは誠に不思議な御縁で十年以上のお付き合いを戴く、と云うよりわたしにすれば師と仰ぐに相応しい間柄になろう。

 

彼はおもむろに実父の話をする、三文文人ながらも俳句を嗜んだのだという。

その彼のお父上が大正時代に北原白秋が編纂した雑誌に事もあろうに名前が掲載されていて更にその仲間内には岡良一や伊藤武雄らも連なって居たのだと目を丸くして解説する。

つまり、彼のお父さんは岡良一や伊藤武雄と同列の文人としてその名を馳せていたことが分かる。

 

但し、話の主旨は彼は伊藤武雄なる人物が此のわたしと少なからず遠縁なる事を言いたかったのです。

紛れもなく伊藤武雄はわたしの叔父津田全の連れ添いの津田紀子の実の父親に他ならない。

面識こそないが偉大なる存在で在った事だけは確と認識する。

 

舟田さんとわたしとは不思議な御縁で連携する。

雪深い野田山墓地の山中で図らずも偶然に出逢ったのが馴れ初めであった、以来幾多に亘り郷土史の薫陶を受けた。

複雑怪奇に絡み合う今枝家・前田直玄家・津田一幽家・遠藤家・成瀬主税家の相関図の手解きを受けた。

 

又、彼の叔父上が三馬小の教頭職の後釜にわたしの父親忠勝が校長職に奉じたと言う不思議な御縁も思い出す。

 

津田近三の倅になる外喜雄の末裔を追跡して存在を確認いたせば其の人物を津田半山の墓の前に連れ出して見せましょうと舟田敏氏は実に頼もしいことを豪語されるのです。