老いのひとこと

大切な竹馬の友、野村武彦兄逝去の訃報に接す。

わたしが今日在るのも敢えて申せば此の野村さんのお蔭であると断言しよう。

受験戦争で敗死したも同然の息子たちに此の野村武彦大兄は救いの手を差し伸べて呉れたのです。

彼らは夫々与えられし職域で厳しき試練を積み上げ曲がりなりにも生きる糧を見いだし得た、そして今や一角の地位を確立し立派な子女までをも育て上げた。

此れひとえに大兄からの恩恵に他ならない、其の甲斐あって此のわたしまでもが安泰で居られるのです。

然りとて此の身で上阪し葬儀に参列いたすは到底叶わず息子たちに任そうと腹をくくりし折に図らずも彼ら両人とも緊急の仕事が入り葬式には出れなくなったとの告白。

其処で万止む無く再度腹をくくり杖を頼りに敦賀駅での乗り換えを命懸けで敢行し、10時48分「かがやき」乗車、「サンダーバード」に乗り換え13時36分大阪着の切符を手配しようとした其の矢先に奇しくも大阪から一報が入った。

「息子の仕事の段取りに変更の余地あり」の急報でわたしらは乗車券購入を見合わせることにした。

 

三里にお灸をすえて、我が人生最後の旅支度に余念がなかったのだが突然にも横槍を喰らったに等しい。

それと同時に、年寄りの一人旅は身の危険が伴いましょうからと家内は気を利かせて同行して呉れる手筈だったが此れも御破算と相成った次第だ。

 

ところが急転直下再び大阪より急報が入り葬儀への参列は息子の代わりに妻容ちゃんが相務める旨事態は又また急変した。

どうも万博に伴う俄か景気で振り回されて居るのだろう。

 

野村武彦さん、またお逢いできる日はそう遠くはない。どうか安らかにお眠りください。

またご一緒して「魚半」にて寺西・寺井・新保らと是非とも再会したい。