年始の目出度い日にそぐわない事です。
わたしは生来ねちっこく執念深い嫌なヤツなのです。
あの一件以来、片時の間も惜しんで「忠廣」くんの安住の地を求めて彷徨い歩く身なのです。
舞鶴の「引揚記念館」に当たるが引揚者の方々の遺品を主体とするので対応しかねると極めて良心的かつ丁重な回答に接し納得せざるを得なかった。
是が非とも嘗て所持した軍人の手元へ返し給うことを衷心から所望した。
衆人に公開し展示致す必要もありません、保管倉庫の片隅にそっと横たえるだけでいいのです。
齢を取ると斯様な下らない取るに足らない唾棄すべき事柄に拘泥するのです。
それでも、わたしはわたし流に仁義を通しているつもりでいるのです。
靖国に尊崇の念を抱くのは何も戦前に回帰し戦時に賛同し戦争への賛美の辞を送らんとする人たちでだけではない。
徒労に終わろうとも、わたしが「靖国神社」に斯くも拘るのは錆び付いたみすぼらしい一本の日本刀の命を救わんと思う一執念に他ならない。
我を通さんと欲する利己主義者では決してありません。
軍人の魂の染み付いた、益してや刀匠が命懸けで鍛え抜いた日本人の魂の籠もった一本の刀剣を事も無げに反故と致すにはわたしは納得できないのです。
当てもなく此の上なく非力ではあるが命懸けで抵抗いたさねばならないのです。
斯くなる大意を書面にしたため昨年の暮近くの頃に送付したにもかからわず未だ何らの反応をも窺い知ることが敵いません。
何処の馬の骨ともつかぬものの戯言を聞く耳をお持ちではなさそうなのです。