今回のツアーのお目当ての一つに違いない。
岐路に立たされた日本国の将来をおもんぱかって国会議員の先生方は一体何をこそ語られるものか直にその息遣いを察知したかった。
ところが、戦後最長と云われる会期延長に反発した野党各党は審議を拒否するに至ってしまった。
さらに、23日当日は「沖縄慰霊の日」に当たり
首相をはじめ多くの議員は平和祈念公園に参集なされたやに聞いた。
当事者不在の国会議事堂ではあったが予約なしに一般人でも内部見学が適うというので申し込みを済ませたのです。
小学生諸君の社会科見学組も数多く整列していた。
一般人も各班に編成され2列縦隊の隊列を強いられた。
主人不在の議事堂ではあったが入館に際しボデーチェックこそ為されなかったが厳格なる手荷物検査が施され緊迫したご時世を厭と云うほど知らされたのです。
空港でのゲート前の検査同様その厳重さには変わりはない。
寧ろ此処では警察官に酷似した国会衛視の方々が執り行うので何となく物物しさが大きく伴ったようだ。
拳銃こそ携帯してないが国会内の警察権を担われる国家公務員であるならばとても威厳ある存在に映った。
驚いたのは見学者の中に外国の方が居られたが衛視の対応は実に流暢なる英語であった。
さすが立法府の衛士らしく恰好がよい。
国会内にはエレベーターもあるらしいが見学者は階段を強いられた。
赤絨毯こそ敷かれてはいるが極めて勾配が急なのである。
そして、延々と昇りが続く相当の脚力がなければ国会議員は務まらない事を知った。
建築技術の粋を極めた内部構造には目を瞠った。
大正期から昭和初期の建造物とは驚きであり当時の国力の総力を挙げて建造された絢爛豪華なる箱物に大いに感心した。
尾崎行雄がいないのはどうしてかなと自問した。
国会の外には警視庁の正規の警察官が随所随所に立ちはだかって警護に当たる。
国会周辺の至るところに取り分け総理官邸の前には夥しい数だ。
その日の総理は沖縄滞在で不在にもかからわず数多く配置されている。
国論を二分する形勢で反対勢力が日毎に勢いを増す中、国会周辺には万余の群衆が気炎を揚げているではないか。
その日は野党の審議拒否に伴う自然休会の状態にもかかわらず正門前の通路には幾組かの労組関係者や激しく団扇太鼓を打ち鳴らす法衣姿の法華宗徒の姿があった。
思わずわたしには衝動が走り、彼の人たちに少なからず檄を飛ばすべく道路を横切ろうと致せば家内は激しく抵抗して“止めてください”と制止する。
連座により子や孫にまで類が及ぶかもしれない、迷惑ではないかと激しく云うのです。
“そのようになってしまったら遅いのです、そのようにならぬように今大勢の良識ある日本人が立ち上がりつつあるのだ”と言おうとしたが公道での口論こそ迷惑かと存じわたしは思いとどまった次第だ。
矢も楯もたまらない気持ちを押さえるのに精いっぱいでした。