老いのひとこと

イメージ 1




雨の降らぬ日には努めて廻ることにした。


処がどうしたことか夜回りをしながら疑心暗鬼になり懐疑の心を募らせてしまうのです。


好からぬ邪推が脳裏を走り離れない。


 


保育園の園児たちが嬉々として遊び合うもろもろの声を騒音と決め付け提訴なされる子供嫌いの方が居るやに聞く。


 


そう云うご時世なので或いはヒョイとしてわたしの打ち鳴らす拍子木の音が忌み嫌われて居るのかも知れない。


100%受容されているとは決して思わない。


そんなことは在り得ないことだろう。


 


また此の行為が悪しき慣行の前例となりはしないかと危惧なされる方も恐らくはいられましょう。


 


 


しかし、わたしは恐れるに足らん事だとその懸念の払しょくの為になお執拗に打ち鳴らす覚悟でいるのです。


 


 


ひょいとして中には親の帰りを待ちわびる幼きお子さんが居ないとも限らない。


況してや母親の帰宅を或いはお父さんの御帰りを今か今かと待ち焦がれるひとり親家庭の御子さんがいないとも限らないということです。


高齢者の独り暮らし単独世帯の方々がこれとていないとは限らない。


そう云う人たちに寄り添う気持ちで誠意を極め物静かにしかも何かが伝わりはしまいかと淡い望みを託して打ち鳴らしつづけたい。


 


ただ漫然と廻るべくして廻っているのでは決してない。


偽善家と云われようが何と云われようがわたしは構わない。