老いのひとこと

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羽咋には弥生時代の吉崎・次場( すば)遺跡が在って何度か伺ったことが在る。


同じく羽咋には寺家遺跡が在って古代の祭祀の跡で知られる程度で実は何も知らぬも同然であった。


兎に角、いい歳抱えて知らぬ事ばかり余りにも知らぬ事が多すぎはしまいか。


偶々県の歴史博物館に恰好のセミナーが在ったので集中講義を受講してきた。


13時から17時までぶっつけ四時間にわたり御三方の専門家から好い話を受け賜わった。


概論から始まりマクロな観点とミクロな観点で話され総合的に全体像が浮き彫りにされる構成でした。


処が正直わが難聴症状は極限に達した感を強め仕舞ったのです。


波長と云うのでしょうかオクターブと申すのでしょうかある領域に入ると音こそすれどぼそぼそ何を語っているのか判明しない。


高度な内容と相俟って泣きたいほどの悲哀感を味わった。


内心では大きく口を開け口調はっきりの願い届く筈もなく悶々とした。


それが100%全てがそうであればわたしは恐らく即座に席を立ったであろうが最後まで拝聴いたした事は何を意味するのでしょうか。


御三方には盛大なる拍手を贈るわたしが其処にいた。


 


 


悔し涙をぽろぽろ流すほど純粋で在らねばならない。


是非そう在りたいものだ。


そう在るように努めたい。