無断掲載
11月3日は恒例の全日本剣道選手権の日です。
滅多と訪れることのないテレビ放映の日です。
国友錬太朗五段が松崎賢士郎四段を出小手に仕留めて全国制覇を飾った。
努力の成果が実り何よりでしたお芽出度う。
祝福申す次第ながらどうした事か例年の雰囲気とは異なる。
西村・内村両選手が早々に敗退したためでもなかろう。
極々一般の視聴者はあの長い十分間を釘付けになり観戦為されたであろうか。
其処に展開する両者の虚々実々の駆け引きに深い感動を覚えられたであろうか。
恐らくはシーソーゲームのように映りお隙(すき)あらば狙うぞと空き巣狙いと見違えてはいないだろうか。
彼らが命を賭して死闘を繰り出す凄まじき形相を一般の視聴者は見過ごしている。
ラガーたちのように生の素顔は面がね越しにしか捉えられない。
いやそうではない、誰しも見えはしない。
それは推察し想像するしかない。
国友選手の小手技は見えたかもしれぬが国友選手の必死の形相はテレビには映らない。
遠間から互いに相打ちの面を繰り出し千分の一秒差で勝負は決す。
敗者が安らかに成仏する素顔は誰の目にも見えねども其処に見る者の感動を呼び起こす。
勝者は驕り昂らず淡々と目を伏し剣先を相手の霊に捧げて残心をしめす。
其処に新たなる感動の輪がまた広がる。
面打ちだけに徹した敗者松崎選手の偉業をも称えなければならない。
身を捨てて打ち切った面技が立派でした。
右小手は確かに切り落とされたが左手で相手の面を確と捉えれば真の勝負は逆転することになろう。
剣道は奥が深い。
ただ勝った負けたの表面上の勝負にだけ拘る剣道には限界があるのではなかろうか。
それだけでは面白くない。
本当の剣道を味わうべく定例の鶴来日曜会稽古に赴く。