老いのひとこと㉕

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これを機会に「政鄰記」のことを勉強出来てとても好かった。

感謝いたさねばならない。

津田正隣は明和6年(1769年)に生まれ文政11年(1828年)に59歳にて没している。

9代藩主前田重教(しげみち)、10代治脩(はるなが)、11代斉広(なりなが)3代に仕え馬廻頭や宗門奉行を勤めたという。

利発な人で利家公が荒子城にて生誕以来の加賀藩記録を収録整理し「政鄰記」全31冊に纏め世に著した。

31冊の内1冊目から11冊目までを正規の「政鄰記」と呼び12冊目から31冊目までを「耳目甄録(じもくけんろく)」と称し此の両者を併せて広義の「政鄰記」と呼ぶのだという。

前者は天文7年(1538年)から安永7年(1778年)までの記録で後者は安永8年から文化11年(1814年)までの記録になる。

なお郷土史家高木喜美子氏による「政鄰記」の校訂編集が逐次進んでいるという。

 

ただ今回教材として拝戴した「政鄰記」表紙の写しに糊付けされる「斯波蕃」の文字は果たして何を意味するものか。

津田正邦こと斯波蕃からして津田正隣は自分の母方の祖父のお兄さんに当たろう。

大家族制度の下では案外身近な存在であったのかも知れない。

伯祖父と言い表し「おおおじ」と呼ぶことを知った。

斯波蕃は大叔父の著書「政鄰記」を所蔵し日頃愛読したのかも知れない。

貼られた名札にはどのような事情が隠されているのだろうか。