老いのひとこと㊹

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自国の歴史を恣意的に歪曲して認識する問題とは些か次元を異にするのだがわたしは自家の歴史を手前勝手に都合よく解釈し得意気に勿体ぶっていた嫌いがある。

尤も歴史家でもないのだから確たる史実に基づかなくても自分史のジャンルの中ではある程度は許されることでありましょう。

藩政期末から明治初頭にかけて我が母方津田家に津田近三なる人物が紛れもなく介在した。

此の者は津田本家の和三郎の嗣子として養子になり現存する半山君の墓を建立した。

のみならず妙典寺蔵の史料に依れば此の近三なる人物は本家に限らず分家筋には近吾が居るにもかかわらず実に甲斐甲斐しく立ち振舞い津田家の世話を全面的に取り仕切る様子が窺い知れる。

明らかに津田家の血を引く者だとは気付くのだが確たる証拠となる証文の類が見当たらなかった。

自ずと当時の全容から察すれば津田清三郎近猷の倅と推測する以外手がなかった。

つまりは恣意的な推論で妥協し勝手に納得してしまっていたのです。

此の時点でわたしの思考は停止したままになっていた。

 

処が今此処に至って其の事を根底から覆すに足る衝撃的情報を入手してしまった。

近三は清三郎の倅には非ずして全然別格の大所からの出自の者で在ると云う異論が突如提供されたのだ。

ショックは隠しようがなかろう。