老いのひとこと



             無断掲載

襲撃をほのめかす内容の手記が新聞に掲載された。

若しも仮にわたし自身が彼と全く同じ境遇下に置かれたとすれば其の手段は兎も角として恐らくは決行に及んだかも知れない。

此の手記からは追い詰められ行き場を失った人間の断末魔の形相がまざまざと見て取れる。

此れは決して遠い別世界の出来事ではない、そんじょ其処らに転がっている。

ひろゆき命名の「無敵の人」は其処らの籔の蔭にうようよ潜み居るではないか。

そんな無茶苦茶な不条理な娑婆を醸し出し容認し見て見ぬ振りをして、また時と場合によっては甘い汁を吸う温床の場として囲って来たのは一体誰なのだ、其の黒幕は一体何モノなのだ。

紛れもなく諸々の為政者たちであり、取り分けその要人が其の片棒を担いだのは明々白々たる眞實ではなかろうか。

 

「無敵の人」はおのれの命と引き換えに其の人物に鉄槌を振り下ろした。

 

その彼の行動は当然非難を浴びメデアから民主主義の敵だと糾弾されても其れは仕方がない。

しかし、そんな事だけで済むはずがない。

むしろ彼の残した此の手記に共鳴し同調する世の底辺に犇めく者たちには格好の模範例として拡大連鎖して行きはしまいか。

 

そういう「無敵の人」たちの心情に喰い込み一般人共々共有し合える抜本的世直し策を先鋭なる智慧人たちは叡智を出し合い逸早く集大成いたさねばならない。

 

国葬なんてとんでもない今は考えられない。

 

此れを機に本当の嘘偽りのない本物の民主主義とは何たるかを国民の前に曝け出してから然るべき時に国葬を論ずればよい。

遅くはない。

待つしかない。

そう在って欲しいと心待ちするだけだ。